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アドリア海の真珠

「アドリア海の真珠」「宮崎駿(はやお)作品の舞台」、そして「ヨーロッパの火薬庫を生き抜いた要塞都市」…。数々の枕詞(まくらことば)が付いているのは、人々がこの町の誇りを長きにわたって守り抜いてきたからこそ。中欧クロアチアの港町、ドブロブニク。世界中の旅人を引きつける街並みは、まさしく世界遺産の称号にふさわしい。

 ■3色の景観

 9月の半ば、休暇を利用して訪れた。まだ日差しが強く、旧市街の城壁を望む公共ビーチでは、多くの観光客が海水浴を楽しんでいた。アドリア海の海上に目をやれば、クルーズ船が停泊し、ヨットやシーカヤックが周囲の島巡りを行っている。

 コバルトブルーの海と白亜の城壁、そしてオレンジ色の屋根が織りなす3色の景観は、どこから見ても絵になる。

 旧市街に沿って切り立つ標高約412メートルのスルジ山にはロープウエーが設置され、約10分ほどで絶景スポットへ。一眼レフカメラを持った観光客は一瞬をもらすまいと眼下の街並みにむけ、シャッターを切る。十字架の記念碑の前で、恋人たちが手をつなぎ愛を語り合う。子供たちは広場でいつまでもうれしそうにはしゃぎ回っている。

 夕暮れ時、頂にあるカフェレストランで刻々と色彩を変えていく旧市街の姿を見守った。お供はこの地方の名物であるカスタードプリンの「ロジャータ」とカプチーノ。店員が卓上のろうそくに火を灯しに回ってきた頃、漆黒の海にライトアップされた旧市街が浮かび上がった。妖艶(ようえん)な光を解き放つ真珠のように。

 ■激動を生き抜いた歴史

 多くの国家がこの街を通り過ぎた。ローマ時代にアドリア海の交易の中心地として繁栄。12世紀ごろから、都市国家として発展し、ベネチアの統治下に置かれた。ルネサンスの影響を受けた建築物が数多く残されているのも、そのためだ。

 その後も、オスマン朝トルコやハンガリー王国、さらにはナポレオンのフランスの支配下となりながらも、自治都市としての気風を保ち続けた。16世紀以降は、アメリカ大陸、インドとも交易して、地中海屈指の商港として栄えた。

 第一次世界大戦後の1918年、ユーゴスラビア領に。91年にクロアチアが独立を宣言すると内戦が勃発し、街はユーゴスラビア軍の空爆を受け、貴重な文化財が破壊された。

 ドブロブニクは79年にユネスコの世界文化遺産に登録されていたが、内戦の結果、危機遺産として指定された。しかし、市民の手によって忠実に復元され、今の姿に至る。

 ■ジブリワールド満載

 スタジオジブリの「紅の豚」「魔女の宅急便」のモデルとなった街としても知られる。石畳の狭い路地には猫たちが住みつき、すっかり街並みに溶け込んでいる。黒猫に出合うと、魔女の見習い「キキ」の相棒だった「ジジ」を思い出す。映画で一躍有名になった「ジジ」はこの街で、家族を作り優雅に暮らしているのかもしれない。

 たくさんの海の幸の入ったリゾットを食べ、クロアチア刺(し)繍(しゅう)のレースをお土産に買い、世界遺産の教会を壁にストリートサッカーをしている男の子たちの姿を目に焼き付けると、さらにこの街を訪れた記念を残したくなった。

 そんなとき、旧市街の一角で理髪店を見つけた。地元の人たちと一緒に待合室に並び、自分の番が来ると、「ドブロブニクカットで」と頼んだ。老店主は笑顔を浮かべ、東洋人の黒髪にはさみを入れた。カットが終わり、再び外に出て海風を浴びると、ドブロブニクの一員となったような気がした。
 

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発表時間:2014-10-28
次の編:期間限定コラボネックレス発売
前の編:方位や高度を測れるタッチ操作の腕時計


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